昔かたぎの銀塩カメラ党だった彼もさすがにデジタルに変わっていた。
理由を聞くと現像屋の閉鎖にあった。
カメラのフィルムが誕生したのは1888年。約120年でフィルムの歴史が閉じる計算だが、最近できたものはさらに寿命が短くなる。
年賀状印刷の定番だったプリントごっこが、1977年の発売から31年で幕を下ろすことになった。原因は90年代半ばから家庭に普及したパソコンとプリンター。
年賀状制作の座をパソコンに奪われ、その役目も終わることになるが、数年前まで年賀状シーズンになるとジャスコの文房具売り場では実演販売していた。
プリントごっこはわが家にはなかったが、初めてのパソコンは96年だった。
さらに寿命が短くなりそうなのが、92年にソニーから発売されたMDウォークマン。2002年にパソコンにつないでネットワーク対応のNet MDが発売されるも、いまや主流は完全にハードディスクの時代。
MDウォークマンが消えるのも時間の問題。
次に消える候補は家庭用のFAX付き電話機か。うちでは2002年に買ったがこれがほとんどといっていいほど活用されていない。
もともと需要はないので、「いらない!」と反対したが、やっぱりFAXが来ることもなければ、FAXを送ることもない。このFAX付き電話にはいまやサービスが終了しているLモード機能が付いているが、これも1度も使うことはなかった。
パソコン、デジタルの世界がアナログだけでなく、最近の技術でさえも恐ろしいスピードで駆逐していく。
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これまで1年も経たずに新機種が出るたびに乗り換えてきた。通算では10数機種なる。1機種でこれほど使うのは初めてだが、それだけ機能的には行き着いていた。
スマートフォンが出るたびに物欲中枢が刺激されたが、結局買うことはなかった。
3度目の正直でやっと購入検討対象となる機種が6月末に発売されることになった。

WILLCOM 03がそれ。
念願の待ちに待ったワンセグがやっと内臓された。カメラも200万画素に上がった。
本体価格も一括払いで6万3120円。、W-VALUE SELECTに入り、分割払いなら実質負担3万5520円となる。
問題視していたサイズも胸ポケットへ入れても邪魔にならないところまでコンパクトになった。それでいてフルキーボードを搭載している。
WILLCOM 03の投入でウィルコムユーザーが増えるとは思えないが、ウィルコムユーザーもやっと世間一般並みにワンセグが楽しめる、というレベルか。
これまでのスマートフォンの中では最大ヒットになる予感はする。
アドエスを買っていたら今頃、地団太を踏んで悔しがっていたころだろう。
待ってよかった。
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欠点もある。ブログパーツが結構貼れなかったり、アフェリエイトもできない。
でも、いい面もある。
アクセス解析が充実していること。中でもIPアドレスが分かる。
IPアドレスが分かると、これが結構面白い。
最近はこれをチェックして思わず笑ったりしている。
IPアドレスは一緒なのに、まったく他人のフリをしているのが滑稽であったりする。中には“自作自演”なんてこともある。
たとえば、疑問を呈するコメントを書く。
すかさず、そうだそうだと同調するコメントを書く。文体を違え、一方は女性、一方は男性のふりをしているのだが、IPアドレスからこれが同一人物であることが分かる。
IPアドレスの拒否設定もできるのだが、それをすると楽しみがなくなるので止めておく。
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非常に制作予算のない番組で、月亭八光の人脈をフルに使って視聴者からの質問や要望に応えていく、という内容。
昨日はテレビ局へ入社したい大学生からの質問で、関西ならどのテレビ局がいいか、という内容。本人は報道よりもバラエティー希望。
ここで毎日放送の大月勇アナが登場。関西ローカルの局アナは、大抵が東京のキー局を落ちて、地方に流れつくというパターンが多いようだが、大月アナも例外ではなかった。
第一志望はフジテレビ。書類審査で落とされ、日本テレビも同様に書類審査で落とされた。
そして、毎日放送と朝日放送の2社を受け、最終的に毎日放送に入社する。その時入社希望者は2500人。その中からたった1人選ばれたのが大月アナだった。
試験ではスポーツ実況、司会、アナウンス対決などの実技もあり、その中から選ばれたエリートだ。
難関のアナウンサー試験を乗り越えて入社したとなると、気になるのは、アナウンサーの給料。八光が「なんぼもろうてんの」と水を向けるが「絶対にいいません!」と拒否。
さらに、年齢と給料は一緒ぐらい、との推測から「35万ぐらい?」とかまをかけるが、乗ってこなかった。
大月アナがスタジオの奥に引っ込んだところで「80万ぐらいかな」と話を戻すと、「そんなにもらっていませんから」と再びフレームイン。
ここは現役局アナでは拉致があかないので、八光の人脈を使って、深夜に生電話。
出てきたのは、局アナから独立して稼ぎまくっている宮根誠司。
フリーになってだいぶ儲かっているんでしょうね、とカネの話しから始めると「まあね」。非常に余裕を感じさせる声のトーン。
で、本題については真面目にこう答えた。
「出る機会が多いのは、毎日放送と朝日放送。なぜなら、この2局はラジオを持っているので」
朝日放送なんか立派な新社屋に移転したばかり。朝日放送がいいかといえばそうでもないことを八光が暴露。
「ビルを建てるのに相当お金がかかっている。それで売り上げは下がっているので、弁当の質が相当落ちた」
こんなところに、経費削減の皺寄せが来ている。
大月アナの毎日放送でもボーナスは下がっている、というから、テレビ局もこれからは斜陽産業になる危険性をはらんでいる。
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強いものだけが生き残られるプロ野球界。メガネをかけたキャッチャーは大成しないといわれながら、18年間現役生活を続け、名球界入りも果たした。
「プロ野球選手にはなりたいと思っていた。でも、川西で野球がうまいぐらいではプロ野球選手になれるとは思っていなかった」と古田が述懐するように、古田家の貧乏物語なしにはプロへの道は開けなかった。
古田の父親は柔道で国体にも出場したほどのスポーツマンで、相撲も得意だった。若いころ相当練習をして国体に出たが、柔道では飯が食えなかった。プロ野球ならゼニになる。同じスポーツをするならカネになるスポーツを子供にはやらせたかった。小学生の古田は父親から「野球をやれ」。これが野球を始めるきっかけでもある。
幼い古田を背中に乗せて腕立て伏せをするような父親だった。それはそれは怖い存在で逆らえなかった。
古田は母親のことをオカン、と呼ぶ。
このオカンが「ハングリー精神の塊で、絶対に負けたらアカンのや!」と父親にも増してスパルタだった。
古田には7つ年上の兄がいる。
古田が小学校へ上がった時は中学生だった。オカンは兄が乗る大人用の自転車に小学校へ入ったばっかりの古田に乗るように命じた。
両親は共働き。オカンは雀荘のおあばちゃんをやっていた。平日は夜11時まで雀荘で働いていた。昼に晩飯を作って働きに出かけた。平日はオカンと晩飯を食うことはなかった。
土日は古田の少年野球チームの練習を見に来るのが楽しみだった。そんなオカンを喜ばせてやろうと思ってがんばった。
古田が進んだ高校は川西明峰。創立4年目の新設校だった。川西明峰を選んだ理由は自宅から一番近かったためだ。
この頃にはプロ野球選手になることは諦めていた。川西ですごい、といわれてもプロでは通用するはずもない。
「勉強はできた」という古田。
やがて大学に進学する。関西大学と立命館大学の2校に合格した。古田本人は関大へ入学するつもりだった。自宅から京都へは通えない。下宿する必要がある。家庭はそれほど裕福でもない。余分な金がかかることを心配したからだ。
ところが、立命館の野球部の監督から川西明峰の監督に古田が欲しいという電話が入った。高校の監督にはお金の事情で行けないと断って欲しいといったが「お前が直接行って断ってこい」。
それで断るために京都に向かった。立命館の監督は断りにくることを承知していた。懐柔作戦に出た。
いきなり監督から握手を求められ断りにくい雰囲気に。さらにマネージャーに「メシでも食わせてやれ」。18歳の古田少年はこのとき大接待を受ける。飲めや歌えの歓待。
「京都はいい!京都へ行かなかったら悔いが残る」
一発で篭絡される。
古田はここでオカンに相談する。
「貧乏だけど京都へ行きたい。下宿代はいくらまでなら出してもらえるかな」
「行きたいところへ行け」
オカンは快諾してくれた。
いざ、入学してみると大学の体育会の厳しさに直面する。入学前はお客さまだったが、入部と同時に殴る蹴る。高校はあまり練習もしない弱い学校だったので、あまりのギャップにその日から辞めたくなった。
それでも1年生のときから1軍に一番近いポジションにいたので2年、3年生から妬まれた。
オカンは「働いて頑張るから好きなことをやれ」と応援し続けてくれた。
4年間頑張った。全日本のメンバーにも選ばれ、ドラフト候補生としてスポーツ新聞を賑わせるようになる。本人も絶対にプロへ行けるものと思い始めた。
ドラフトの前日には、古田の実家にある球団からドラフト指名の電話が入った。
その電話を取ったのはオカンだった。
古田家にゼニがちらついてきた瞬間だった。
ドラフト当日。立命館大学では記者会見の用意がされた。垂れ幕の準備までされ準備は万端だった。
ところが、電話のあった球団からの指名はなかった。
実家は寿司を取って親戚、近所、記者が集まり宴の準備までしていた。
古田は「実力が足りなかった」と諦めたが、電話口のオカンは「約束を反故にされた」と泣いていた。怒りがこみ上げてきた。
「2年後を見ておけよ。絶対プロに行ってやるから」と心に誓った。
実家に電話してきたのは大物監督だった。
古田は「あんたがカツや!」
積年の恨みから未だに会いたくない存在のようだ。
プロに入って3年目のオープン戦で会う。
「お~お前が古田か。俺はお前が活躍することは分かっていた。俺の目はすげぇだろう」
一言でもあのときのことを謝って欲しい、と思ったが本人はそのことは忘れていたようだ。
トヨタ自動車で2年頑張った。ソウルオリンピック代表にも選ばれた。名前も売れてきた。
2年後のドラフトでヤクルトから指名が入った。
喜び勇んでオカンに電話した。
「オカンやったぞ!」
ところが、オカンは意外な反応を示した。
「トヨタはいい会社だから、ヤクルトへ行くのは止めたら」
プロは入って見なければ分からない世界。球団の支配化選手は60人。毎年10人の新人が入る。ということは10人は静かにユニフォームを脱ぐ。
この頃になるとオカンは安定した生活を望んだ。プロに入って今までの投資分を何倍にもして取り戻すことが古田家の夢だったのに。
ヤクルトは弱い球団だったので古田の出番はすぐに訪れた。野村監督の元で9年間頭を使う野球を叩き込まれた。
プロ野球選手の中には貧乏自慢が多いが、裕福なお坊ちゃまよりハングリー精神が強いほうが生き残るのはいうまでもない。
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中国側の要請を受けたものだが、自力では復旧が極めて困難。本来はオリンピックどころではない事態の深刻さが伺える。
今は土砂崩れによって川がせき止められ、ダム湖の決壊が問題視されているが、最も重要な核施設の破壊に関しては「安全宣言」を出しているが、中国当局の発表ほど信頼できないものはない。
加えてチベットの被害もまったく報道されない。
2人の未来予言者が北京オリンピックは中止になると予言している。
中止へのトリガーは核施設の崩壊による放射能汚染の深刻化というのはどうだ。
大気汚染や食の安全の比ではない。
逆に自衛隊に放射能漏れを調査させて、第三者の目で安全宣言を出すぐらいのことをした方が、開かれた中国をアピールできるというもの。
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小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえが現実になってきた。
非常に喜ばしい。
大沢親分風にいえば「アッパレ!」。
目的は未成年者の喫煙を阻止するため。対策は自動販売機で未成年者がタバコを買えないように写真入りのICカードがなければ買えないように自販機を改造する。
未成年者の喫煙防止。大義名分はできた。
全国のタバコ自販機をタスポ対応にすれば、自販機メーカーには特需が生まれる。
タスポを先行導入した地域では、タバコ屋の自動販売機の悲鳴が聞こえる。タスポ対応になってからタバコの売り上げが1割台まで落ち込んだケースもある。
タバコ屋殺しの天下の愚策がタポスだった。これで喫煙者が増える分には喜ばしい。
読み違えたわけでもあるまいが、タバコの自販機以上にコンビニはある。コンビニでタバコはいつでも買える。わざわざ面倒くさい手続きを経てタポスカードを手に入れる必要性を誰もが感じていない。
タバコ協会はおそらく、タバコのメーカーや販売店、自販機メーカーなどで構成されていると思うのだが、未成年者への販売を抑制するタポスはこれによって恩恵をあずかる団体が主導したのではないかと考えるのが自然な流れ。
未成年者への販売抑制が、まず、個人経営のタバコ屋を廃業へと追い込もうとしている。利益の薄いタバコ。自販機売り上げが9割も落ちればやっていけない。
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前回5月14日、次に船場吉兆のことを書くとしたら、「民事再生の道を断念。事実上、倒産した」としていたが、廃業することを決定した。
さすがに食べ残しの使い回しが常態化していたことが明るみになると、贔屓の客だってそりゃ、見捨てる。接待には使えない。
廃業は時間の問題だったが、女将もやっと決意したようだ。
吉兆グループが再建の手を差し伸べなかったことも、グループの怒りを表している。
船場吉兆のためにどれだけの風評被害が出たかは計り知れない。
産地偽装や賞味期限切れ商品の使い回しが発覚した、去年10月から船場吉兆は「吉兆」の暖簾を下ろせ、と訴え続けてきた。
グループにすればこの7カ月間は本当に苦々しい思いで、船場吉兆の対応を傍観していたはず。
船場吉兆が廃業したことで、やっとグループは枕を高くして寝ることができる。
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社会的地位のあるアナウンサーがこんな制裁を受けるのに、会社の社長が盗用した場合は、ペナルティーさえない。
当ブログも盗用されるようになりました。こんな書き出しで始まったのは2年前の2006年11月4日。
「泣きながら生きて」というドキュメンタリー番組のエントリーをアップしてTBしているときだった。
自分が書いたエントリーとまったく、そのまま。そんなブログを発見した。
当時の文面。
最後まで読んでみたが、出所を明らかにするどころか、まるで自分が書いたかのように振舞っている。こうなると完全に盗作だ。しかも、調べていくと1本や2本ではない。ざっと数えて9本にも及んだ。
たちが悪いのは最後の数行に自分のコメントを書いて、さも自分が書いたかのように装っていることだ。
これはちょっと悪質。
ブログを盗作していたのは住宅販売会社の社長だった。盗作されたことをブログで何度か書いて先方からの謝罪を待った。
しばらくして、メールでやっと謝罪文が来た。
その会社は今でもやっている。
ホームページの社長のあいさつはこんな具合。
「この出会いが生涯のお付き合いになりますように…」
という強烈な想いをメンバー全員で共有、共感している会社です。
このサイトにお越しいただいた皆様とも出会い、ご縁があって結ばれたこと全ての出会いは必要必然だと考えています。
お客様に私たちは「住まい」というカテゴリーからの商品をご提供している以上、「つくって終わり」の仕事では、生涯お付き合いする事はできません。
神様から「縁」を頂き、巡り合ったお客様とは「つくって始まり」の仕事として捉えています。
私をはじめ会社もスタッフも若輩ですので、頼りないとお感じになる事も多々あると思いますが、お客様の幸せを思う気持ちは誰にも負けない自負を持っています。
全者一丸となって家創りを通して、皆様の「幸せづくり」に貢献すべく精進して参りますので末永く御指導の程、よろしくお願いします。
私たちは、お客様と共に成長して行きたいと考えている会社です。
↑
※盗作ではない
このあいさつ文からも分かるように今でも発展しているとは思えない。
中小企業の社長なので盗作してもネットで小さく話題になるぐらいで、処分はないが、盗作社長の言葉のひとつひとつに他人を感動させることはできないと思う。
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相撲協会は朝青龍が決着が着いた後で白鵬の背中を押したことは、取組みの流れで起こったことで、不問に伏すという結論を出したことで、朝青龍の天敵ともいえる内館委員が噛みついた。
白鵬は背中をダメ押しされたことに腹を立て、起き上がりざまに、肩で朝青龍の胸をついたことから、土俵の上で数秒間のにらみあいが続き、横綱の品格が改めて問われる事態になった。
専門家から見ればダメ出しは普通の行為で、それに腹を立てる白鵬の方が悪い。
物事には原因と結果がある。けんかも原因があるからけんかになる。その原因を作ったのは朝青龍というのが内館委員の見解。白鵬が一方的に責められるのはおかしい、ということ。
昔から、けんかは両成敗。
最後は両横綱を呼んで厳重注意することになった。
これで因縁の対決という構図ができあがり、本場所がますます面白くなる。そのために2人が仕組んだ演技?なんてことはないだろうが。
ちょっと問題が起きると、すぐに横綱審議会が出てきて、口をはさむ。テレビのインタビューでは内館委員の意見ばかりが流れる。たまには、やくみつるの意見も流して欲しい。
横綱審議会は相撲協会を萎縮させる機関になりはしないかと、そっちの方が心配だ。
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