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[ 2014-01 -26 00:01 ]
2014年 01月 26日 ( 1 )
衆院議員を辞任したときは、誰もが都知事選への準備のためと思ったに違いない。日本維新の会から出馬して、比例区で当選。国会議員1年生を糸も簡単に投げ捨てたのだから、首長狙いだと考えるのが自然な流れ。
ところが、真実は違っていた。
東国原本人が関西ローカル番組で、真相を明かした。

辞任した理由を「維新の会の変質」として、次のように語った。
「党を改革しようと署名活動を行っていましたが、重鎮から『黙って出て行け!』といわれ、それでリミットが12月一杯だったので出て行った次第です」
党の重鎮とは旧太陽の党の片山虎之助あたりだろうか?
日本維新の会と旧太陽の党は水と油のような関係で、執行部を仕切っていたのは、政治経験が豊富な旧太陽の党の面々だ。
これに反発したのが東国原で、党改革のために署名活動を行い、10数人の署名を集めたところで、重鎮の逆鱗に触れた。
まさに虎の尾を踏んでしまった。
大阪へ行って橋下市長と会って2時間も引き止められたが、決意は変わらなかった。
東国原の考えは、旧太陽の党とは、完全に袂を分かち、結いの党と合流。さらに民主党の細野や前原らと一緒になって野党第一党を結党することだ。
その時になれば、また国政に打って出る気持ちは十分に持っている。
現在は政治家を離れ私人、タレントとしてテレビに出ているが、昔のそのまんま東に戻りつつある。
「今は開放感で一杯です。今は言動に責任を持たなくてもいい。それまでは党や周りに迷惑をかけることにもなる」
政党を離党するころから都知事選への出馬の噂が絶えなかったが、本人はそのたびに「出ない」を繰り返してきた。
番組収録から1カ月後ぐらいに放送される番組だってある。その時に出馬してしまうと、その番組は放送できなくなる。
損害賠償で1本2000万円ぐらいは支払わなければいけない。
そんなことはタレントなので心得ている。
重鎮とは片山虎之助に一票。