人間、運がよければ病気や事故に逢うこともないが、誰もが平等に迎えなければならないのが死だ。
それと同じようにどんな偉大なスポーツ選手でも必ず迎えなければならないのが引退の時だ。今年は野球で桑田と清原のKKコンビが引退したが、女子マラソン界からはQちゃんこと高橋尚子が突然の引退会見を開いた。
選手が偉大であればあるほど引退の時の寂しさは格別だ。
北京オリンピックの最終予選となる3月の名古屋国際女子マラソンでは、序盤の9キロ地点で早くも失速。途中棄権するかと思ったが最後まで走り抜き27位とワースト記録でレースを終えた。ひざを手術していたことを明らかにした。
オリンピック出場を断たれるが、その後高橋尚子は東京、大阪、名古屋の女子3大マラソンを連続で走る、という目標を立てていた。
引退の理由はプロランナー高橋の走りを人前で見せることができなくなったため。自分的には「完全燃焼したためさわやかな気分です」。
高橋尚子には個人的にも勇気づけられた。今までスイミングを続けられてこられたのも2000年のシドニーオリンピックで日本人女子が陸上競技で初の金メダルを取ったことからスタートしている。
高橋尚子は女子マラソン界に突如、彗星のごとく現れた。
1998年、2度目のマラソン挑戦となる名古屋でぶっちぎりの優勝を果たす。30キロ地点からのギアチェンジに誰もついてくることはできなかった。それまでもマラソンの常識を覆す走りだった。
翌99年のバンコク・アジア大会で高橋尚子の名前は不動のものとなる。
気温30度、湿度90%という過酷な条件下ながら5キロ地点からトップギアの独走。2:21:47のものすごい記録で優勝してしまう。
まさに、ホップ、ステップ、ジャンプとばかりに2000年のシドニーオリンピックでは2:23:14で優勝する。併走するリディア・シモン選手を振り切るときのサインがそれまでかけていたサングラスを投げ捨てることだった。実にかっこよかった。絶対的な強さを見せてくれた。
夏の暑い過酷なレースだったが、ゴールしても疲れを見せず「すごく楽しい42キロでした。どうもありがとうございました」と笑顔でインタビューに答えた。
日本人女子選手が陸上で初の金メダルを取った快挙から国民栄誉賞を受賞する。
さらに、2001年のベルリンマラソンで女性初の20分台を切る2:19:46の世界記録で優勝する。
思えば、高橋尚子のピークはここまでだった。
アメリカ・ボルダーの標高2800メートルの高地を練習拠点に走り続けたが、その後はけがとの戦いが続いた。
連続オリンピック出場をかけた2003年の東京女子国際で終盤にまさかの失速で優勝を逃す。ゴール前に必ず外していたサングラスを取ることもなくゴールしたのはこのレースからだ。
アテネオリンピックには選ばれることはなかった。野口みずきが優勝するシーンはボルダーの合宿先でテレビ観戦していた。本来は自分がその場にいるはずなのに悔しい思いでテレビを見ていたに違いない。
2005年5月、押しかけ女房的に小出監督の門下生となって8年、小出監督の下を旅立つ決意をする。残りの陸上人生を自分の決断に賭けチームQを結成する。
復活の優勝を果たしたのはこの年の東京だった。
プロ高橋の走りができなくなったが、50、60になっても走っていた、という高橋尚子。これからは走る楽しさを子供たちに伝えていく仕事もあるだろう。
本当にお疲れさん、といいたい。
ところでコメントを求められた元マラソン選手の千葉真子が妙にきれいになっていた。目がぱっちり。二重がはっきり。整形している。
高橋尚子引退会見もぶっ飛ぶ話題ではないか。
千葉真子は結婚か?
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