メダルを取れない日本男子柔道。最後の砦の100キロ超級で石井慧が見事に期待に応えて金メダルを獲得。お家芸の面目躍如を果たしてくれた。
以下はそんな実況のはじまり、はじまり。
日本柔道最後の砦である100キロ超級が始まった。
21歳。最年少で日本代表に選ばれた石井慧選手は2回戦から登場。イタリアの145キロのビアンケシを内股で一本勝ちで破り初戦を突破。
3回戦はエジプトのエムシャハビ。
「ここは問題にしていない」とは解説の篠原信一。最近は関西のバラエティー番組にもお呼びがかかる。
その予想通りの展開となった。
石井に持たれるのを怖がっている相手。体落としを警戒するあまり自分から倒れこむ。指導で1ポイントとった直後に大内刈りで一本。
そして、準々決勝はロシアのハゲ頭トメノフ。これでまだ31歳だという。得意の寝技に入り、残り14秒で横四方固め一本。
その前にスタミナ切れのトメノフが参った。
「これまでで一番いい石井です」と篠原。
石井とは違う組でスタートした優勝候補の筆頭で世界チャンピオンでもあるフランスのリネールが敗退した、との報を聞いてとんでもない発言があった。
「私宣言します。石井は今日金取りますね」と早くも篠原が金取り宣言をした。
アナウンサーはあわててさえぎろうとしたが篠原はいってしまった。
「安心して見ていいんですね」とフォローするアナウンサー。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
長い休憩の後でやっと準決勝が始まった。
解説の篠原信一の予言通りになるのか。その時が訪れた。
相手はグルジアのグルジャーニ。
相手の指導でポイントを取ってから上四方固めで相手は参ったで一本。
篠原の金宣言が一歩近づいた。
決勝の相手はウズベキスタンのタングリエフ。
「石井の方が一枚上」と篠原。相手がタングリエフに決まった時点で、篠原は石井慧の勝ちを確信していたようだ。なぜなら、篠原は過去2回対戦して「圧勝」した実績があるからだ。
石井慧とさほど体格は変わらないが、随分年寄りに見える。
試合は終始石井慧が攻める中で2:18秒に相手に指導が入る。
まず、ポイントを取ってから有利に試合運びをする。今回の勝ちパターンである。
さらに有効ポイントがついて、そのまま試合終了。
最後はポイントで勝ったが、勝ちは勝ち。
畳を降りて、勝利者インタビュー前に、カメラマンの前で「ハッスル、ハッスル」のポーズ。この辺は国士舘大学4年生とはいえ、現代っ子。
インタビューでの開口一番はこうだった。
「付き人やサポートしてくれた先生のおかげです」
北京の畳の感触を聞かれると、
「滑らなかったです」
大阪人らしくボケたつもりなんだろう。
今回のポイントは準々決勝で当たったロシアのトメノフだった。
「昔から憧れの選手で好きで見ていた。光栄に思う」
ロートル選手を倒したことが金メダルに近づいたわけだが、強敵のリネールと決勝まで当たらなかったこやリネールが自滅したために、石井慧に金メダルの方から近づいてきた感じだ。
「決勝が自分の柔道。国士舘は負けてはいけない。冒険せずに勝ちに行った」
「斉藤先生のプレッシャーに比べたら屁のツッパリにもならない」
「斉藤先生からは全日本チャンピオンなので、自分が負けたら日本の負けと耳にたこができるぐらいいわれた」
これから、何をしたいかと聞かれると現代っ子らしい答えが。
「遊びたいっす」
あわてて「練習したいっす」
これを聞いて篠原は思わずこう忠告した。
「石井はしゃべらないほうがいいです」
いずれにしても、篠原の金宣言通り石井慧選手は金メダルを獲得して日本柔道の砦を何とか守ることができた。
やれやれ。
これで、金メダリストと娘が同級生、と話のネタができた。
ちなみに、石井選手の妹は息子と同級生だった。
石井選手のお母さんは小学校の父兄のドッチボール大会ではスターだった。
人気ブログランキン