村上世彰が株のプロ中のプロなら、作詞の世界でプロ中のプロといえば阿久悠氏をおいてほかない。
演歌、ポップス、ロック、と作詞のジャンルを問わず、大ヒット曲の数々を飛ばし続けてきた。その数は5000曲にものぼるという。
中でも黄金期は1970~80年代。この時代のヒット曲といえば、大概が阿久悠氏の作詞で、不世出の偉大なるヒットメーカーである。
世代的にはスター誕生の辛口審査員であり、作曲家の都倉俊一氏とコンビを組んでデビューする新人をスターダムに押し上げるプロデューサー的印象が強かった。
プロフィールの中で森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の中三トリオを育てた、とように書かれている。
確かに、森昌子、桜田淳子の2人には作詞を提供しているが、山口百恵は違っている。
デビュー曲「としごろ」から4~5年作詞を担当したのは千家和也氏。その後のヒット曲「横須賀ストリー」は阿木燿子、「秋桜」はさだまさし、「赤い絆」は松本隆、「いい日旅立ち」は谷村新司、と変遷する中で、阿久悠氏の作詞が1曲もないことに気づいた。
この変遷振りをさしているのかどうかは分からないが、阿久悠氏は山口百恵のことを「時代と寝た女」と評している。
いずれにしても、この2人の仲はよくはなかったのだろう。
変な方向に話が進んでしまったが、阿久悠氏の訃報は今年最大のショックであった。
合掌
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