B&Bが漫才ブームの頂点に立ったのは、もう四半世紀前になる。週にレギュラー15本を抱え、時間が取れないから、と深夜0時から、2時、3時、と3回のクリスマスディナーショーをこなしたことも。まさに殺人的スケジュールだ。
当時の月給は8000~9000万円。
B&Bのもみじ饅頭のギャグで一躍売上が10倍に跳ね上がったのが広島の「にしき堂」。修学旅行生に大人気。生徒達が来ると午前中で店内の在庫が売り切れる有様で、深夜に一生懸命工場を稼動させていたようだ。
当時、もみじ饅頭を作っている店は15社ほどだったが、ブームで300社に増えた。
B&Bのブームが終われば、もみじ饅頭の売上も落ちるところだが、今でも200社がもみじ饅頭で食っているからB&Bの功績だといえよう。
話を当時に戻そう。洋七の功績に感謝したにしき堂の大谷照三会長は、お礼にゲンナマで5000万ほどを手渡そうとしたが、洋七は「われわれももみじ饅頭のお陰で売れた」と受け取らなかった。
洋七は今でも広島へ行くと、飲食店ではただだ、という。店がお金を受け取らないらしい。だから、逆に行きにくいところもあるようだが、その支払いは全部にしき堂に回されている。
現金を受け取らないB&Bに、大谷会長が感謝の気持ちを表す方法が、B&Bが広島に来たときの飲食代は全部、にしき堂が持つことだった。大谷会長が広島の飲食店に対してB&Bの飲食代は受け取らずににしき堂へ回すように指示している。
恐らく、洋七、洋八が生きている限り続くのだろう。
洋七のそっくりさんに扮装して試してみようと考える人はいないと思うが。
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