国会に今回の事件で呼び出されたJR西日本の垣内剛社長は、事故原因が日勤教育や過密ダイヤが「直接原因ではない」と言い切った。
つまり、本音では「運転士個人の責任である」といいたいのだろう。
実際、そうであったとしても、われわれ一般人が運転士責任と思っているのと、社会的責任ある立場のトップが国会で発言するのでは、重みや意味合いが全然違う。記録にも残る公式発言だ。
意図的に運転士責任とも取れる発言をしているわけだ。
当然波紋を呼ぶことが予見できたことだから、あえてそう発言した真意は何なんだろう?
事故の後始末の目処がついた時点で、辞任するようだが、この発言は、現場の痛みを知らないエリートサラリーマン社長の体質がもろに出たのかもしれない。
調べてみたら、やはり、東大法学部卒で旧国鉄に入ったキャリアだった。
いわゆる官僚である。公務員上級試験に合格したキャリアは出世コースが約束されていて、そのレースを闘いながら昔なら国鉄総裁の椅子を目指したのだろうが、分割民営化で社長の椅子に代わったわけだ。
いささか、旧い話だが、グリコ・森永事件で犯人逮捕を目前にしながら、それができなかったのは現場をまったく知らないキャリアが現場指揮を執っていたからだ、ともいわれている。
警察庁のキャリア組は入庁3年で課長職に就く。ノンキャリアなら大半が一生かかってもたどり着けないポストだ。
そんなポストに現場経験もない若造が就いて指揮して事件が解決できるわけもない。
それと同じ図式が旧国鉄内にあったことは容易に想像できる。
警察現場で士気が低下するのは、キャリアが現場経験もないのに机上の空論で、口出しをして捜査を混乱させるときだ。
命令は絶対。
間違った指示でも従わざるを得ない。
途中で民営化されたJRは、この上級国家公務員試験制度の弊害が民営化後も社長を筆頭に末端の従業員にまで根強く残っていたと思う。
明治以降にできた国鉄の体質が10年ぐらいの民営化で急速に変ることはできない。
実は、今回の事故当日のボーリングなどの批判問題は公務員体質が抜けきれていないからだろう。
企業体質とは実は官僚が支配する公務員体質だったのだ。
自分が創設した会社でもないサラリーマン社長はいくらでもいる。国営企業が民営化後に事件を起したときに感じる“よそ事”答弁は公務員体質から抜けきれていない証だ。
倒産した山一證券の社長が、倒産会見で自分たちの責任を認め、「悪いのはすべて自分達。社員は悪くない」と大泣きしたのとははえらい違いだ。
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