日本で一番嫌いな監督である星野が宙に舞った。
判官贔屓なのでもちろん楽天を応援していたが、星野が胴上げ監督になるのは見たくない。
星野が男を下げたのが、2008年の北京オリンピックだった。
オールプロで臨みながら、銅メダルさえ取れなかった野球の惨敗振りは、日本を元気にするどころか、あまりにものふがいなさに、日本国民を怒りに震え上がらせた。
福田選手団長が総括の中で、「各リーグから強い選手を集めて、ちょちょと練習したぐらいで勝てるような甘いものではない」と星野ジャパンを厳しく批判した。
野球組は選手村には入らず、特別待遇を残せなかったことが怒りの輪を広げた。
最強チームといわれながら、結果が残せないとなるとすべては監督責任になる。
ストライクゾーンの問題を出していたが、日本チームだけ特別のゾーンがあるわけでもない。聞き苦しい弁解にヘキヘキした。
それまで、星野は20社あまりとCM契約を結んでいたが、この一件で次々と契約を打ち切られ、広告価値もなくなった。
星野ジャパンを自ら商標登録していたことがバレて守銭奴ぶりが白日にさらされた。
商品価値がなくなった星野を拾ったのが楽天だった。
星野が就任した年が東日本大震災だった。
そこからの復興に野球がすずめの涙ほどの癒しを与えられたのではないか、と星野はいう。
阪神でも楽天でも野村監督が選手を育成してきて、刈り取り時期になった頃に監督になって優勝を掻っ攫っていく星野。
この強運が星野だ。