民主党の切り札で、次期首相候補にも名前が挙がっていた前原外務大臣が窮地に立たされている。
法律で禁止されている外国人からの寄付を受けていたことが発覚。在日の焼肉屋のオモニから5万円の献金を受けていた。4年間での総額は20万円。政治資金規正法で禁止されているとはいえ、もっと大きな金額で問題になればよかったのに、と思ってしまう。
自民党の山本一太は「週末には決断され辞任するのではないか」とけん制するが、金額の多寡ではなく外務大臣という立場上、止むなしだろう。
民主党が政権を取った直後は、国土交通大臣として八ッ場ダムの建設中止を発表して、世間の喝采を受けたが、馬淵大臣になってから事実上、中止を撤回している。
前原大臣が在日の中でも総連系の企業との結びつきが深いことを追求したのが、自民党の稲田朋美議員だった。
2月21日の衆議院予算委員会で、前原大臣の過去の北朝鮮訪問について鋭い質問をした。
前原大臣は過去2回北朝鮮を訪問している。1回目は平成4年、京都府議時代。2回目は平成11年衆院議員の2期目時代だった。
いずれも前原大臣が府議時代から付き合いがある京都の河村織物の関連で北朝鮮へ訪問している。
稲田議員が問題視したのは、2回目の訪朝だ。
折しも、国会は国旗・国歌法案など重要法案を巡り、民主党は徹底抗戦の構えで、国会が紛糾している最中の訪朝である。
一私企業である河村織物がピョンヤンへ建てた工場を見学するために、国会を休んでまで、国交のない北朝鮮を訪問したことに、国会議員としての見識を疑った。
これに対して前原大臣は「支援企業の工場が北朝鮮にできたので、見に行った。それ以上でも、それ以下でもない」と応じた。
ところが、訪朝の際、議員バッチを外していたことを追及すると、「私の日ごろの活動を見れば分かるが、院外ではバッチを外す。それでバッチを外した」と逃げたが、次の質問が鋭かった。
「ビザを申請するときに衆院議員の肩書きか、河村織物の顧問の肩書きか」と迫った。
前原大臣は「国会議員として堂々と訪朝とした」と答えるのがやっと。
稲田議員は「私の質問には答えていない」とピシャリ。
さらに、「ピョンヤンでは河村織物の顧問の名刺を配っていなかったか?」と追及の手を緩めない。
これに対しても「国会議員として堂々と行っています」と質問をはぐらかす。
再び「私の質問に答えていない」とやり込められる。
これには前原大臣は「事前通告がなかった」と答えに窮する始末。改めて調べて報告する、と逃げたが、それはまだ前哨戦に過ぎなかった。
本題はここからだった。
1週間の滞在中にピョンヤンの高麗ホテルで、よど号の犯人4人と接見している。
その事実を突き詰められと「会ったのは偶然だった」といつものポーカーフェイスで答える。
舌鋒鋭い稲田議員がこんなことで引き下がるわけがない。
よど号事件が起こった時、大臣は8歳で、互いの顔も知らない。にも、関わらず「偶然玄関で会うはずがない」と迫る。
紛糾している国会をほっぽり出してわざわざ北朝鮮へ訪問した理由は「よど号の犯人に会うことが目的ではなかったのか」と追及の手を緩めない。
相手はよど号の犯人4人。写真まで撮っていたことを追及されると、「帰国後に公安調査庁に写真を提出した」と写真を撮ったことは認めたものの「名前に関しては失念した」と防戦一方だ。
稲田議員は犯罪者と会って「名前を忘れ、偶然に会ったことが理解できない。私企業の工場視察へバッチまで外して行ったのは、よど号の犯人と会うために行ったのではないか」と詰め寄った。
「神に誓って、これは偶然に会った。予定されていなかった。高麗ホテルは危ないホテルで、どういうところかすべて分かっている。そんな危険な場所でセットする理由がない」とかわした。
北朝鮮系の企業を支援する前原大臣は、これまで国会質問でも「日朝の経済交流、経済支援をすべきだ」と北朝鮮寄りの発言を行ってきている。
前原大臣が付き合いのある元工作員の伝聞として「拉致被害者は全員死んだ」と発言したことに対しても国益に合致しない、とばっさり切り込んだ。
高潔なイメージの前原大臣の化けの皮を保守の論客が見事なまでに打ち破った瞬間でもあった。
前原大臣は見た目のイメージだけ国民が惑わされる典型的な例でもある。
日本の国民は深く考えないでムードに流されやすい。