Tさんに2度も嘘をついてしまった。
まずは、この場を借りて詫びたい。
3日からスタートしたウィルコムのだれとでも定額。日付が変わった3日午前0時に申し込んだのだが、適応されるのは翌日から。つまり、4日からだった。
で、定額が解禁となって最初に電話したのがTさんだった。
10分以内ならだれとでも定額なのだが、Tさんの話は10分で終わりそうもなかった。溜まり溜まったこの激動の2日間のことを10分の尺で話し終える様子はなかった。
時々通話時間を気にしながら9分が過ぎ、残り30秒を切ったところで「外線が入りました」と1回目の電話を切って、しばらくして電話を掛けなおした。
「忙しいんですね」とTさん。
2度目も話しは尽きず10分で終わりそうもない。
再び「外線が入りました」と一端きり、3度目の電話を入れる。
これは、だれとでも定額通話の10分以内の実験のための電話だったのだが、話しが込み入りそうなケースでは10分では終わらない。
そもそも、時間を気にしていたら会話に集中できない。
普段は10分で終わる通話が大半なのだが、時間を気にしなくてしゃべってしまう場合は30分は必要だ、ということを実感した。
Tさんは、当然、このブログを読んでいる。2度も途中で電話を切ったのは、そういうことでした。
今度ははっきりいいます。
「10分が来るので一旦切ります」
10分を越えて追加料金を取られたのでは、何のためにだれとでも定額を申し込んだのか意味がない。
通信業界で何事にも先鞭をつけるウィルコム。
いずれ、他社も音声通話でだれとでも定額に追従してくることは想像に難くないが、無料通話の時間戦争になりそうだ。
そういう無用な競争をなくし、だれとでも定額の牙城を最初から築き上げるために、時間制限を設けず、無制限にすべきだった。
10分以内、とは他社に追従してください、といわんばかりである。
ソフトバンクの軍門に下ったために、このだれとでも定額が実現したのだろうか? テレビCMもガンガンやっている。
ソフトバンクの指導の下にウィルコム独自の戦略ではないのかも知れないが、データー通信の優位性がなくなった現在、音声通話で生き残るのが、ウィルコムの道かも知れない。
ケータイが普及して、なんでもかんでもメールで済ませる風潮が日本人に定着してしまった。
わざわざ電話するより、それが簡単で楽。
楽ということは人間関係が希薄になるだけ。引いては話しベタのコミュニケーションがうまくとれない人間を増やすばかり。
電話代を気にせずに話しができる環境が整うということは、日本人のコミュニケーション能力を高めることにもつながる。
ウィルコムのだれとでも定額は日本人のつながりを変える。
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