きっと呼び寄せられたのだろう。そうとしか思えない。
高松の仕事が終わり、広島へ入ったのは夕方の5時半。ホテルへチェックインして、気がかりだった病状について電話を入れてみた。家へかけてもケータイにかけても誰も電話に出ない。
病院に電話した。
入院しているとしたらもう2カ月以上になる。
最近は個人情報保護法の関係から、電話で入院しているかどうかの確認が取れない。病院へ来れば教えることができるが「電話では答えられない」の一点張り。
ここは入院しているか、退院しているかわからないが、とりあえず病院へ向かうしかない。
電車で病院に向かっている時に義兄からケータイに電話が入る。
「今病院に向かっているところなんですが、具合はどうですか?」
「よくないじゃ…」と声に力がない。
最寄の駅で待ち合わせ、一緒に病院へ行く。
「今晩でも電話しようと思うちょったんじゃ。きょうも朝、病院から電話があって仕事場から引き返したところじゃ」
病室は今朝、畳の間が付いた個室に移ったばかりだった。いよいよ覚悟しなければならない時期だったようだ。
ベッドでは酸素マスクをして息も絶え絶えの姿があった。
乳がん発病から16年。この病院では一番がんばっている患者だった。
主治医から「今晩が山場です。親しい人には連絡してあげてください。娘さんも早く来てもらったほうがいいです」と覚悟を促された。
そんなタイミングでの見舞いだった。
義兄が娘を迎えに家に帰った。
病室に2人っきりとなった。
自分が来るのを待っていたかのようだった。それまでがんばっていた。
病室に入って1時間あまり。呼吸する間隔が少しずつ長くなり、静かに息を引きとった。最初で最後の見舞いが臨終に立ち会うことになるとは思ってもいなかった。
最後はB型肝炎による肝硬変だった。