百貨店のビジネスモデルは昭和と共に終わっている
2009年 02月 03日
物珍しさから何度か足を運んだが、その熱気も秋風と共にフェイドアウト。
今は目の前は何度も通るが中に入ることはない。
欲しいものがない。定価販売なので高い。ハイソなシニアをメインターゲットにしているので、昼めしを食うにも高級店ばかりで入れない。
そんなことが理由だ。
昭和のビジネスモデルとでもいうべき百貨店。百貨店の包装紙の価値観なんて遠の昔に終わっているのに、世界的不況が百貨店不況に追い打ちをかけた。
新生そごうの象徴だった心斎橋本店が、わずか3年あまりでライバルの大丸へ売却されると誰が想像しただろうか。
そごうにすれば2度目の破綻にも等しい。
西宮ガーデンズ。
キーテナントは阪急百貨店だが、西宮ガーデンズの人波の喧騒の中で、阪急百貨店内だけがひっそりしている。
百貨店を生業にしている企業は百貨店を捨てられない。
百貨店にしても、新聞にしても20世紀型のビジネスモデルは、日本の人口減少と共に、世界的不況で一気に土俵際まで押し込まれている。
せめて、人口が右肩上がりで増えているのなら、まだ未来が見えるのだが、日本の人口が減ることは、すべての産業に影を落とす。
日本の人口が減る政策は日本の政治が悪い、という前に日本人弱体化のシナリオが完遂している現れだろうか。
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外商と言うスタイルも昭和を感じさせますね。一部の金持ちの上得意にくっついてそういう高い絵画や宝石を買ってもらう。いまどきの成金はそんなすスタイルでもないような気がします。

郡部から福岡市内に出るのに国鉄のディーゼルの汽車に乗り、更に路面電車を乗り継いでいました。
もちろん服装はよそ行きのおめかし。いつもより濃い目の化粧で、誇らしげに大丸の緑の包装紙を抱えたお袋を思い出します。
田舎に住んでいた者にとって、デパートに行くのは一つのイベントのような時代でした。
何でもあるから「百貨店」ですが、現在ではデパートにしか入っていないブランドの商品を買う為にいく事がほとんどです。
伊勢丹が復活と遂げたのは消費者のターゲットを絞り、商品を絞った結果だとドキュメンタリー番組でやってました。
そうですね。昔は百貨店へ行くことは一大イベント。うちの死んだ婆さんはエスカレーターに乗るときに履物を脱いだ。何時代かと思われますが昭和40年代の話です。
心斎橋そごうもターゲットをシニアセレブに絞って失敗でした。