俳優の竹内力は高校を卒業後、大阪に出てきて三和銀行淡路支店で銀行員をしていた、ということはWikipediaでも紹介されているが、もっと深い情報が入った。
竹内力が入行したのは昭和57年4月。退行は59年3月。実質2年ほど銀行員をしていたことになる。で、淡路支店時代は普通口座預金のテラーをやっていた。
現在の竹内は中年太りが酷く、顔まで劣化しているが、当時の竹内は銀行員でありながら革ジャンを着て通勤していた、というから行内でも目立つ存在だった。もちろん、ルックスも抜群で行内でオーラを発していた。モテモテだったことはいうまでもない。淡路支店に竹内力あり、という噂は三和銀行内にもすぐに伝播して行った。下の写真はかなり若い頃の竹内力だが、こりゃモテルわ。
噂を聞きつけた他の支店の女子行員がわざわざ竹内力を拝みに来ていた、という。
普通口座の窓口は3つあった。そのうちの一つを竹内力が担当していた。淡路は下町でおばちゃんの利用者が多いのだが、いつも竹内力の窓口におばちゃんや女子の列が出来て、ほかの2つは空いている、という状態だった。行員竹内力のモテモテぶりを示すエピソードである。
竹内力の窓口だけに人が並んだのでは、ほかの2人は面白くない。行内でも浮いた存在だった。
当時から行内恋愛もやっていた。
朝は2つ年上の女子行員と一緒に通勤していた。
昭和59年の正月休みが明けても竹内力は出勤してこなかった。大分の実家に電話を入れたりする。このまま無断欠勤が続けば解雇にもなる、という説得を受けて出社する。
辞めたい理由を聞いてみると、「高卒では支店長にはなれないし、将来が不安。俳優学校に行って俳優を目指したい」。高卒でも支店長になることは本人の努力次第だが、銀行員より俳優の方が向いていることが分かった上司は、その夢に賭けることを勧めた。
銀行の風紀も乱れる存在だったこともある。
竹内力といえば、代表作はナニワ金融道だが、若い時は本当に金融業界にいたのであった。