最近、すべての行動は必然である、と感じることが多い。
きのう、東京へ行った折に、立ち寄った会社もそう。立ち寄ったから新たな情報を仕入れることができた。
それが伏線とすれば、きょうの行動は必然だった。
東京で聞いた情報を原稿にして、ある会社に持ち込もうと電話した。
原稿を半分ほど書いた時点で、その会社に電話を入れたのが9時28分。
電話口に出たのが、電話をかけよう、とした相手だった。
名前を名乗っても相手はすぐにピンと来ない。なにせ、去年の6月に一度訪問しただけ。説明するとすぐに思い出してくれた。
「実は私は広告宣伝の担当を外れて、今は営業に回っているんです。だから、ほとんど外に出ていて会社に来ることもなければ、外線の電話を取ることもないのです」
このことばを聞いて天の啓示だと思った。
あの時間に思い立って電話したから、前回会った担当者が直接電話口に出たわけだ。このタイミングを逃したらこの人も電話口に出てくることもなく、話しはつながらなかった。
担当を外れたにせよ、前回訪問した企画の意図はちゃんと覚えていて、「すぐに担当の上司に報告しますので原稿を送ってきださい」ということになった。
夕方訪問した南方の新会社もこちらが提案した企画がドンピシャでマッチングできそうな雰囲気。e-bookでマーケティングできることには特に関心が高かった。
種まきはした。小さな芽は出てきた。
この小さな芽を育てなければならない。一生懸命水をやらなければならない。
後は花が咲くのか、実がなるのか。
神様はその先のことも知っている。
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