いまさら恐妻家川崎麻世のカイヤ伝説もないだろうが、関西ローカル番組で「東京では放送されていないこと」を条件にカイヤの悪妻ぶりを暴露していた。
結婚は相互の誤解から始まる、といわれているがまさに、その典型が2人のケースだ。
出会いはマイケルジャクソンのパーティーだった。
カイヤを一目見た印象は「グレース・ケリー」だった。
川崎麻世の横に座ったことが話しをするきっかけになるのだが、しばらくするとカイヤが急に泣き始めた。理由を聞くと「パーティーへ同席していた人から、部屋に来るように誘われたが、私はそんな軽い女ではない…」
そんな目で見られたことが悔しかったようだ。
そこで川崎麻世は「ここを出ない?」と外へ連れ出したことが付き合うようになるきっかけとなる。その時電話番号を交換した。ケータイのない時代で家の固定電話だった。
数日後カイヤから電話が入る。深夜寝ている時間帯で、寝ぼけ眼で電話を取った。相手が英語でしゃべりはじめたので、当時英会話を教わっていた彼女の名前を口にしたところ「違うよ!」と電話を切られた。
そして、付き合い始めるが、ここからは映画のワンシーンのような生活がつづく。
朝、二人はベッドの中で目覚めた。
カイヤが「きょうはこれから香港でモデルの仕事。麻世も来て」と都内のスタジオへでも行くかのように気軽に誘った。
急な香港旅行に、ホテルも決めていない。
ガイドブックを開いて指を指したところへ、泊まった。
川崎麻世はこれまで付き合った女性から束縛を受けるタイプで、それが嫌だった。
そのことを告げると「私はアメリカ人。束縛はしない。自由」と神の声に聞こえた。
カイヤが妊娠したことをきっかけに結婚することになるが、生活が一変するのは、本格的に生活の場を日本へ移してからだった。
鬼嫁にスイッチが切り替わった。
「束縛しない」といっていたが、180度変わる。
そのことについては「日本へ来たら友達もいなければ、日本語も分からない。頼るのはボクだけになったので仕方ない」と理解は示すものの度が過ぎた。
一番、川崎麻世を苦しめたのがカイヤとの連絡だ。
家を出たとたんに、「今玄関を出た。車に乗るところ」と電話しなければならない。逐一行動を報告しなければならないような感じだ。
仕事が終わってこれから「帰るコール」も当然のことながら、帰宅予定時刻を1分でも遅刻すると鍵をかけられ家に入れないために、30分で帰れる時でも1時間さばを読んだ。
そんな、調子だからカイヤからの電話が精神的に苦しめることになる。
それは運転中だった。
カイヤからの電話だった。
運転中なので電話を取れない。切っても、切ってもカイヤは諦めない。イライラがピークに達する。それが原因で過呼吸に陥り、呼吸困難となって、息も絶え絶えに自ら救急車を呼んだこともあった。
夫婦喧嘩で川崎麻世が手を出すことはないが、カイヤは容赦しない。
ある時、ハイヒールのかかとで頭を殴られ、血が吹き出した。
この時、川崎麻世が取った行動は、110番したことだった。
警察がかけつけても「私はやっていない」と白を切る。
カイヤは自宅でも時々土足のまま家に上がることがあるが、川崎麻世が土足で上がると「私はアメリカ人。あなたは日本人だからダメ!」とワケの分からない論理をふりかざす。
川崎家のテーブルには調味料が置いていない。
カイヤの作った料理に塩やコショウでもかけようものなら、料理を捨てられたりする。そんなに嫌なら「自分で作れ!」という言葉を聞いて、川崎麻世は内心「ラッキー」と小躍りした。
カイヤの不味い料理を食べるぐらいなら、自分で作ったほうがよほどまし。
それ以来家事一切は川崎麻世の仕事になっている。
悪妻カイヤブームが終わって随分経つが、恐妻家川崎麻世伝説で、本でも書けば売れそうだ。
あの夜、マイケルジャクソンのパーティーがなければ、川崎麻世の人生も大きく変わっていたはずだ。
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